本日のこだま636号を持って700系の東海道新幹線の定期運用が終了します。今後は山陽新幹線のひかり1往復と東海道新幹線の臨時のぞみ(22日までは山陽直通便も設定)で3月まで活躍します。当ブログでは、山陽新幹線定期列車引退のときにB編成(西日本編成)の特集と完全引退の時に700系の貢献等についてブログを紹介します。今日は700系の20年を振り返ります。
1999年運行開始 700系は1999年3月に博多行き定期のぞみとして走り出しました。しかし500系より山陽区間の所要時間がかかるので東京始発便と最終の東京行きのぞみに就くことはありませんでした。それでも2001年には定期列車ののぞみを全て500系と700系に統一されました。2003年には100系が引退してすべての東海道新幹線の列車が最高時速270キロで走れるようになりました。その結果「ひかり」の格上げで「のぞみ」が大増発され、同時に品川開業もされ東海道新幹線の利便性が向上しました。そのあとは山陽新幹線ののぞみの増発も行われました。
N700投入後も臨時のぞみが多く設定 N700系投入後は山陽直通ののぞみから撤退していき、2012年300系引退と同時に新大阪行を含めて定期のぞみ運用を退きました。しかし2007年から2012年までの間は定期運用を少なめにして、山陽直通のぞみに優先的に回りました。この間は新大阪行臨時のぞみにはほとんど使用されませんでした。2013年以降から本格的な廃車が始まりましたが、その結果運用が大きく減ったのは定期ひかりとその折り返しの定期こだまでした。臨時のぞみとしての運用も減りつつありましたが、それでも2018年までは山陽臨時のぞみの運用も多めに設定されました。一つの要因としては300系よりも西日本所属編成が多く、特に300系引退のために東海の車両が譲渡されたため一時期西日本所有編成は25本あったため博多からの入出庫もかねた運用が必要であることです。2018年より西日本も本格的な廃車が始まったためなのか山陽臨時も減ってきましたが、引退3か月前まで残ることになりました。300系は引退1年前に山陽臨時のぞみから撤退しています。また最後まで残るのは新大阪のぞみとなりました。このパターンは700系が初めてです。
置き換えには9年要した 700系初の廃車は2011年のC4編成です。これはC11~C18編成を西日本に譲渡する際に部品取りとして廃車になりました。それから東海は2019年までの9年も要して700系を置き換えました。300系は5年で置き換えられたので約2倍の年数をかけて置き換えられたことになります。リニアの工事や改札、券売機の更新、ホームドアの設置でN700A製造のペースが遅くなったと考えられます。西日本は東海譲渡編成も含めると5年かけて置き換えました。全体的に700系置き換えのペースは遅かった気がします。
N700系登場時から「N700系に統一された時どうなるか」という話は鉄道雑誌などにも記載されていました。そして便利になることは前から言われていました。だからこそ早くN700系に統一していくと予想していました。ここまで700系が残るとは思いませんでした。飛行機もバスもタクシーも20年間も持ちません。そう考えると新幹線が20年近くで引退していくのも、乗り物である以上仕方ないことでしょう。個人的には700系の引退をそっと見守りたいと思います。
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